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2014年4月11日 (金)

インフルエンザと入学式と葬儀

意味不明のタイトルですが・・・

前回のブログから2週間の出来事です。

前回の更新が3月24日。

この翌日から体調を崩し、寝込んでしまいました。理由が判明したのは28日。インフルエンザでした。

近隣の小学校でインフルエンザが散発しているという話は聞こえていたので、体調を崩したときから、家の中で隔離状態。病院へ付き添ってもらうこともせず、食事も洗濯物も別。とにかく、家族に近寄らないようにしていました。

というのは、3月29日には、103歳の誕生祝いと三男の高校合格報告を兼ねて、青森の母方の祖母を訪ねる予定にしていたからです。神奈川県内に住む母と、独立した長男夫婦とわが家とで、総勢8名。子ども達にうつしたら大変です!

29日に完治することはなく、私は青森行きを取りやめ、7名で行ってもらいました。祖母の部屋に入ったのはわずかな時間でしたが、玄孫の顔を見せることができて、それは喜んでもらえたとのことでした。

祖母が玄孫(私の孫)を見つめる、にこやかな写真を持ち帰ってもらい、まだまだ元気そうな祖母を見て、ゴールデンウィークは混むだろうから、普通の土日に私だけ顔を出すことにしようか・・・などと、家族で話していたのです。

ところが、青森行きから6日後、祖母が自宅で亡くなったと連絡がありました。まず、同居している伯父から、私の体調を気遣う言葉があり、「もう治ったから近いうちにおばあちゃんに会いに行くね~」と脳天気な返事をしたところ、「もう、おばあちゃんには会えないんだよ」と言葉が返ってきたのです。

一瞬、何を言われたのかわからず、沈黙の数秒間があったと思います。

連絡があった時間、日頃は部活で帰宅の遅い次男も、年度末で忙しいはずの夫も帰宅していました。新年度からのわが家のお手伝いやこづかいについて話し合う家族会議を予定していたからです。全員で訃報を聞くことができました。

友引や葬儀場の都合で、通夜は三男の入学式と同日に。

家庭の都合で小学校を途中で退学した明治生まれの祖母は、子どもや孫達の学業を応援していました。伯父の妻に勧められて60歳過ぎてから公文式に通い、字も文章も上達し、それまで以上に手紙をくれるようになりました。そんな祖母ですので、三男の入学式を欠席して葬儀に参列することは、祖母に心配をかけることになりはしないか、いや、でも、みんなでお別れを言いに行くべきではないか・・・丸1日悩んで、葬儀に行くのは私一人に。

入学式が終わってかけつけても、通夜に間に合わないことはあらかじめわかっていましたが、入学式が終わってから、とにかく青森へ行ったのです。

これまで会ったことのない親族、子どもの頃、親族が集まった際に会ってはいるけれどきちんと話をしたことのなかった人達が、大勢、葬儀に参列してくれていました。

数年前に祖母から聞かされた「友達はみんな死んじゃった、電話をかける相手がいない」という話から、静かな葬儀になると思いこんでいたのですが、祖母の子どもはもちろん、おい・めい、いとこの子ども、もはや何親等かよくわからないけれど、近隣に住んでいる同じ名字の人たちが、私の想像以上に別れを惜しんでくれたのでした。

取り仕切る伯父夫婦は、大変だったろうと思います。

棺の中の祖母の顔は、とても穏やかだったと、皆が口をそろえて言っていました。死に目には間に合いませんでしたし、ほんの少し前に会う予定がかなわなかったことも悔やまれますが、100歳を超えてなお、別れを惜しんでもらえる生き方をしてきた祖母が、穏やかに去っていったことを良しとし、私も、目指せ100歳!と思っているところです。

おばあちゃん、ゆっくり休んでくださいね。

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